「ヴェネツィア 私のシンデレラ物語」
チェスキーナ洋子
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ヴェネツィアで一番有名な日本人、
チェスキーナ洋子さん。
音楽家のパトロン。
クラシック界のあしながおばさん。
「ヴェネツィア 私のシンデレラ物語」は、
チェスキーナ洋子さんが語る、半生記です。
数年前、図書館で何の気なしに、借りた本です。
表紙を見て、
ヴェネチア×シンデレラ
なんか素敵な組み合わせ💓💓💓と、
軽い気持ちで読み始めました。
音楽好きの方にとっては、
本当に申し訳ないのですが、
私は、この本を読むまで、
チェスキーナ洋子さんを知りませんでした。
読み始めて、あまりの面白さに、
一気に読んでしまいました。
こんなに凄い人だったんだー👀
まずは、
チェスキーナ洋子さんの略歴を。
1932(昭和7)年、熊本生まれ。熊本県立高等学校、
東京芸術大学ハープ科卒。
1960年、戦後初の公費留学生としてヴェネツィア音楽院に留学。
1977年、 レンツォ・チェスキーナ氏と結婚。
1982年、ご主人と死別。その後、10年を超える遺産相続裁判を戦う。
1993年、すべての裁判が終わる。その後、音楽界のパトロンとして活躍。
何から書いていいのかわかりませんが、
洋子さんの半生、
とっても濃いです。
まずは、ヴェネツィアに行くまでの28年間。
もう、ここまでも、波乱万丈。
洋子さんのタフさに驚きます。
幼少期は、裕福な家庭で育ち、
音楽に触れたのが、洋子さんの
”音楽きちがい”のはじまり。
しかしその後、
両親の不和。
度重なる引っ越しと、
安定しない辛い時期を
過ごします。
そんな中でも、
ただひたすら、
「音楽が好き」
この気持ちだけで、
突き進む!
突き進む!
でも、
どこか、
かわいらしいんです。
無邪気なんです。
そんな洋子さん、
幾度となく、困った状況になるのに、
いつも誰かが、
そっと力になってくれる。
まわりの人も、
こんなに一所懸命夢を追いかけている人がいたら、
なんとか力になりたいと思ってしまうんでしょう。
好きなことを追いかている人のパワーって、
本当にすごいです。
そして、ヴェネツィアへ留学し、
あと半年で帰国。
というところで、
後にご主人となるレンツォさんに出会います。
この、レンツォさん。
26歳年上の資産家です。
15年のお付き合いの後、結婚。
2人とも再婚同志。
子供はいませんでした。
この、二人の関係も、
きっと大変だっただろうなぁと、
読んでいて思ってしまいます。
色々な経験をした洋子さんだからこそ、
続いた関係だったと思います。
ご主人のレンツォさん。
男4人の兄弟です。
お父さんが、一代で事業を起こし、
莫大な財産を築きました。
ところが、兄弟が不幸な事故や病気で死亡。
結局、
次男のレンツォさんが、
最後に残ります。
そのため、レンツォさん、
財産を洋子さんに残すため、結婚に踏み切ったわけです。
そして、その結婚からほどなくして、
レンツォさんも死去。
ところが、長男の家族から洋子さんが相続する財産に
ついて、裁判を起こされたのです。
レンツォさんの遺言書は洋子さんによる偽造だと。
ここから10年を超える裁判が始まるのですが、
ここでも、優秀な弁護団に出会います。
もう本当に、行く先々で素敵な出会いに恵まれています。
洋子マジックです。
長い裁判を経て、ようやく決着がつき、
3000億リラを相続します。
著書の中では、ほとんどリラででてくるので、
正直、どのくらいの金額がわからなかったのですが、
日本での、洋子さんに関する記事を読んだところ、
3000億リラ=320億円(当時)とありました。
文豪・ヘンリーミラー、イタリア大富豪・・・国際結婚した日本人女性の悲劇
私は冒頭で300億円と書きましたが、
320億円ですね。
20億円もちがうのに、ここまでくると、
あんまり違いがわかりませんね。
誤差の範囲です(笑)
この本が出版されたのは、2003年。
この当時、ヴェネチアを拠点に、
精力的に音楽界をサポートされている時期です。
特に、ヴァイオリニストのマキシム・ヴェンゲーロフと
指揮者のワレリー・ゲルギエフがお気に入りだったようです。
そして、
2015年1月10日。
82歳で亡くなられました。
ローマの病院で亡くなられたそうです。
図書館で出会った本ですが、
ぜひとも手元に置いて、
いつでも読みたいと、即購入しました。
それ以来、時々読み返しています。
レンツォさんとの、豪華な日々も素敵なんですが、
私はベネツィアへ行くまでの洋子さんの、行動力に
いつも圧倒されます。
そして、
どんな時も、
どこにいても、
洋子さんの
絶対的な自分に対する自信が、
かっこいいんです😍
これから、シンデレラを目指す方にも、
そうでない方にもおすすめの本です。
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